竹内充は小学校から吹奏楽をやっています。
というわけで当時を振り返りながら、竹内充ってこんな人なんだなと思っていただければと思います。
まずは、私と金管楽器との出会いから
出会いは、小学校4年生
上越市立飯小学校
http://www.ii.jorne.ed.jp/
そこが私の母校。
そこで出会ったのが金管楽器のtuba(チューバ・テューバともいいます)!
4年生になるとクラブ活動を行うことになっていたので、なにか選ばなければならない。
当時太っていた私は、運動は苦手だった(当時確か自転車も乗れない、泳げないだったような・・・)ので、運動部ではな、金管部へ
トロンボーン

(こんな楽器、スライドを伸ばして音程を変える)
に憧れてました!
しかし、顧問の先生から
竹内君は体格がいいからね!
というわけで、
チューバ

(私の前に持っている楽器がチューバ)
に。当時はバスって呼んでましたが、中学になってからチューバという名前なんだと知りました。
4年生のクラブ活動が始まってから2カ月ぐらいかな?
体育で左の鎖骨を骨折
1週間ほど学校を欠席、その後学校にはいけるようになりましたが、骨がくっつくまではクラブ活動をお休み。
次第に、吹けない自分がいやで、音楽室に行くのがいやになって
クラブ活動には出ずに帰る日々・・・
先輩から楽器を引き継ぐ、引き継ぎ式の最後の練習日。
全然できないし、出たくなかったので帰ろうとしたら顧問の先生に見つかりひどく怒られました(やんわり書いてますがもうちょと激しい怒り方でした)。
無理やりひっぱって練習会場に連れて行かれて、何とか楽器を持って練習に参加。
引き継ぎ式当日も何とか形だけ参加。
引き継ぎ式のあとはすぐに、6年生の卒業式のための練習。
でも、全然吹けないので別室にて副顧問の先生にみてもらって練習する日々が続きました。
たしか、最初吹けるようになったのは
「こんにちはトランペット」
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=YpvHggmc5Iw)
だったかな?
しかし、今思うと、ひどく怒ってもらったあの先生がいらっしゃらなければ、吹奏楽をずっと続けることはなかったと思います。
教師の熱意によって子どもに対する伝わり方が違うんだなと今思うと感じます。
今も吹奏楽を続けられていること、あの先生に感謝です!
“吹奏楽との出会い 小学校編(1)【こんな人】” への1件のフィードバック
今も熱心にやっている音楽活動の
入り口が、そうだったとは!
初耳でした!!
当時の竹内少年には辛い日々でしたでしょうが、今となっては、素敵なお話ですな!!
頑張って下さい!!(笑)